第1回 贈与の哲学的基礎──モース・デリダ・東洋思想の往復

「思想の贈与論──文化資本と知の公共性」
著者:小竹竜也
連載開始:2025年9月7日
本書 連載第1回(掲載日:2025年9月14日)

贈与とは、ただ与えることではない──関係を生み、時間を超えて生き続ける思想の営みである。

要旨

本稿は、贈与概念の哲学的基盤を整理し、思想の贈与論の根幹を定義するものである。モースの古典的贈与論における「贈る・受ける・返す」の三段階構造、デリダが指摘する純粋贈与の逆説、さらに儒家・仏教・道家における贈与の思想を比較検討する。これにより、贈与は単なる交換を超えた時間的・倫理的現象であり、思想が文化資本として機能する基盤であることを暫定命題として提示する。

キーワード

贈与、返礼、文化資本、モース、デリダ、孔子、布施、無為、思想の伝播、時間性

1. 序論:贈与という根源的行為

人間社会において「贈与」は交換経済や法制度の背後に横たわる根源的行為である。単なる物質的移転ではなく、関係を創出し、共同体を維持する機能をもつ。思想もまた、所有を超えて他者に手渡されることで存続し、未来へと継承される。この観点から、思想の贈与を理論化するにはまず贈与の哲学的基盤を押さえる必要がある。

2. 古典的贈与論:モースの三段階

マルセル・モース『贈与論』(1925)は、贈与の構造を「贈る obligation」「受ける obligation」「返す obligation」という三段階として定式化した。ここで重要なのは、贈与が一方的な移転ではなく、関係性を持続させる仕組みである点である。贈与は社会的義務であると同時に、共同体を支える循環の核である。思想の伝播も同様に、発する義務、受け取る義務、再解釈して返す義務を通じて文化資本を循環させる。

3. 贈与の逆説:デリダの批判

ジャック・デリダ『Donner le temps I : La fausse monnaie』(1991年、Galilée社刊:邦訳未刊行)は、モース的理解を批判的に継承し、純粋な贈与は存在しえないと論じた。なぜなら、贈与は返礼が意識された瞬間に「交換」と化してしまうからである。この逆説は、思想の贈与にもあてはまる。理念を語るとき、承認や権威を期待するならば、それは純粋贈与ではなくなる。思想が真に贈与となるのは、返礼を意図しないときであり、そのとき思想は未来の予期せぬ場所で新たに芽吹く可能性をもつ。

4. 東洋思想における贈与

儒家においては「仁」と「徳」が、社会的行為としての贈与の倫理的基盤を成す。布施は仏教において「自我の超越」としての贈与を意味し、与える者自身が浄化される。道家は「無為自然」を説き、贈与が制度化されず、自然な関係性の中に溶け込む在り方を示す。これらは西洋的交換論を超え、贈与を「関係性そのものの生成」として捉える視点を提供する。

5. 贈与と時間性

贈与は現在だけで完結せず、未来に向けて開かれている。返礼は必ずしも即座には生じず、時を超えて回帰する。思想の贈与もまた、与えた瞬間には理解されなくても、後に再解釈され新しい文脈で生き続ける。ここにおいて、思想は「時間を超える贈与」として文化資本に蓄積される。

6. 結論:思想の贈与の暫定命題

以上を踏まえ、暫定的に次の命題を提示する。

命題1:贈与は返礼を超えた関係性を形成し、思想もまた贈与を通じて文化資本として増殖する。
命題2:思想の贈与は、時間を媒介として再解釈され、未来へと継承される。

本書の第1回は、思想の贈与論の基盤を提供し、次回以降の理論的展開(文化資本、知の公共性)への前提となる。

贈与をめぐるモースとデリダの理論、そして東洋思想の視座を往復することで、私たちは「贈与とは何か」という問いを固定的に定義するのではなく、常に開かれた思考として捉えることができる。この往復の運動そのものが、思想を生きたものとし、現代に息づかせる営みなのである。
次回は、この基礎を踏まえ、贈与がどのように社会制度や人間関係に形を与えてきたのかを検討する。

本連載では、理論的基盤(Theory)、応用的展開(Applied)、公共的実践(Commons)という三層構造(TAC構造)を通じて議論を展開する。以下はその対応関係である。

関連ノード

  • THEORY:T2(文化資本としての思想)
  • APPLIED:A1(評価制度の再設計)
  • COMMONS:C1(公開宣言)

参考文献(抜粋)

  • Mauss, Marcel. Essai sur le don : forme et raison de l’échange dans les sociétés archaïques. フランス語原著 1925年。
  • 有地亨訳 『贈与論』 勁草書房(新装版 2008年)。ISBN 9784326602124。
  • ――『社会学と人類学』全2巻、訳者:有地亨・伊藤昌司・山口俊夫、弘文堂、1973年4月‐1976年12月。ISBN 4335560109/4335560117。
  • Derrida, Jacques. Donner le temps I : La fausse monnaie. Paris : Galilée, 1991。※日本語訳未確認。