第3章 経と緯の構造──哲学と実践をつなぐ織物としての知
知は、単体で存在しているように見えて、実は“織り込まれている”。 過去の経験、価値観、関係性、文化、言葉、そして時間。知とは、そうした要素が編み込まれた布のようなものだ。
この章では、知を「縦」と「横」の二つの軸からとらえ直す。 横糸──それは知と知を関係づける構造的な統合運動。前章で述べたアウフヘーベンは、まさにこの横の力である。 では縦糸──時間を貫き、意味を与え、知を深める「経」とは何なのか。それは哲学に他ならないのか。
知が「今ここで」立ち上がるとはどういうことか。そのとき、私たちはどんな構造の上に立っているのか。知の縦と横を見つめることで、知という織物の構造が立体的に立ち現れる。
1. 知の緯──アウフヘーベンという横糸
アウフヘーベンとは、異なる知と知をつなぎ直し、関係づけ、新たな次元に持ち上げていく運動である。 形式知と暗黙知、実践知の間を往還し、対立や矛盾を保持したまま統合していく。
この運動は、組織においてはナレッジシェア、チーム内対話、経験の振り返り、反省的実践などにあらわれる。 「なぜそれをするのか」「どうすればもっとよくなるか」という問いを繰り返す中で、知は横に広がり、他者との関係のなかで姿を変えていく。
この横方向の動きは、関係性の網目をつくり、知を結び、相互作用を促す。 しかし、それだけでは知は単なる情報のネットワークに留まってしまう。 知が深まるためには、もう一つの軸が必要である。
2. 知の経──意味を与える縦糸
知には、「なぜその知を大切にするのか」という問いが欠かせない。 同じ形式知でも、ある人にとっては「どうでもいいこと」であり、ある人にとっては「生きる指針」になる。 この違いを生むのが、知の縦軸──すなわち「価値観」や「世界観」だ。
それは時に「哲学」と呼ばれ、時に「人生観」「倫理観」「信念体系」と呼ばれる。 組織であれば、それは経営理念や文化であり、教育であれば教える側の人間観である。
知は、情報でもデータでもない。 知とは、意味が宿るものだ。 そして意味は、文脈の中にのみ立ち上がる。 その文脈を深く織り込んでいくのが、「経」の働きである。
3. 哲学は「知の経」である
哲学は、知に「なぜ?」を突きつけ続ける。 なぜそれを知るのか。 なぜそれが正しいのか。 なぜそれが今、必要なのか。
哲学は、知の地盤を掘り下げ、根を張らせる。 そして、その問いを持つ者にとって、知は単なる知識ではなく、「生きるための知」として変容する。
企業における実践でも、教育の現場でも、マニュアルや手順だけでは人は動かない。 その背後に、「なぜこの行動が大切なのか」を語れる思想があるとき、知は縦糸として力を持つ。 哲学とは、抽象的な教養ではなく、知を生きものとして根づかせる縦の力なのである。
4. 経と緯が織りなす知の織物
横糸としてのアウフヘーベン、縦糸としての哲学。 この両者が織り合わさったとき、知は単なる情報やスキルではなく、「織り上げられた布」として私たちの中に現れる。
知は、横の関係性の中で育まれ、縦の意味づけによって深められる。 一方が欠ければ、知はばらけ、空洞化し、やがて形骸化してしまう。
つまり、知の本質とは「構造にある」のではなく、「構造が動的に保たれていること」にある。
5. 知を織るとは、世界を織ること
私たちは、日々、知を織っている。 ある経験を、他者と語り合い、言葉にし、意味を与える。 それが知を織るという行為だ。
その織り方に、美しさと持続性があるならば、知は個人を越え、組織を越え、社会を支える布となっていく。
そしてこのとき、知は単なる「学び」ではなく、存在の在り方そのものとなる。
次章では、この「知の織物」が、どのように深まり、判断として立ち上がるのか──暗黙知・形式知・実践知が再び出会う場所としての「実践知」に、もう一度光を当てる。(2025/4/30 小竹)



