知識(情報など)と学問とは異なる

論語の陽貨篇に「知を好んで学を好まざれば、その蔽や蕩なり」という記述があります。知識や情報を一所懸命集めても学問がないととりとめがなくなるという意味です。禅や王陽明も実践を重んじましたが、実践の中に学問が浸透している状態であり、それは海水の塩のようなものです。目には見えなくてもすべてに溶け込んでいる状態をいいます。その学問は末学ではなく、本学なのです。本末転倒にならないようにしたいものです。(2023/5/22 小竹)