不昧因果

百丈野狐の話です。あるとき説法が終わっても帰らない老人がいました。百丈は老人に話しかけると、老人は「私はかつてこの山に住んでいた僧です。そのとき『大修養をした人は因果の法則に落ちないか』と質問されたので、『不落因果』(因果の法則に落ちない)と言ったら。狐になってしまいました。なんと答えるべきだったのでしょう」と百丈は尋ねられたので、こう答えました。「不昧因果」(因果の法則をくらましてはならない)これには2つの意味があると思います。⑴人には越えられない真理があるということ。⑵狐は狐で幸福があるので落ちるという考え自体が間違っている。落ちたと思っていた狐の身を受け入れる、(狐は自分が受け入れられない今の現実のメタファ)つまり自分と狐という二項対立の概念から解放されることが修養なのです。(2020/12/14小竹)