第7章 根づく知、育つ人──年輪としての知の成長
植物が大きく育つには、時間がかかる。太陽と水、土の状態、季節の移り変わり──すべての要素が影響し合いながら、ゆっくりと幹を太らせ、年輪を重ねていく。
人もまた同じである。 知とは、急いで身につけるものではなく、時間の中で深まるものだ。 この章では、「早く育てようとすること」がなぜ知と人の本質に反するのか、そして“年輪のように知を重ねる”育成とはどのようなものかを考えていく。
1. 知の成長には時間が必要である
現代の組織では、若手を早く登用し、即戦力として活躍させることが求められている。 だが、それが本人にとって、組織にとって、本当に健やかなことなのか──。
知は、経験を経て省察され、他者との関係のなかで問い直されることで、初めて成熟する。 早く知識を得たとしても、それを「どう使うべきか」「なぜ使うのか」が育っていなければ、それは空洞な知となる。
“育てる”とは、時間と共に根を張らせることであり、幹を太らせることである。
2. 促成栽培の危うさ
促成栽培は、表面的には立派に見える成果を早く得られる。 だが、根が浅く、枝葉ばかりが伸びてしまえば、強風ひとつで倒れてしまう。
早期登用されたリーダーが、トラブルに直面したときに判断を誤り、現場との信頼を失ってしまう例は少なくない。
その原因は、能力の不足ではなく、「深さの欠如」である。 知が内面に沈み、価値観として統合されていなければ、状況の複雑さに耐えうる判断は生まれない。
早く伸ばすより、深く根づかせること。
3. 年輪としての知
年輪は、木の内側に刻まれる知の記録である。 雨風に耐え、乾季を超え、土を選びながら、静かに蓄積された経験が、層となって現れてくる。
人の知もまた、年輪のように育つ。
- 若い頃に出会った問いが、十年後に深く腑に落ちる
- 昔の失敗が、今の後輩指導に活きてくる
- かつては理解できなかった価値が、ある日ふとわかる
それは、“すぐに使える知”ではない。 だが、それこそが本当に人を支える知である。
4. 育成とは「急がせない」こと
本当に人を育てようとするなら、急かしてはならない。
- 「いつできるようになるか」より、「どんなふうに育っているか」に注目する
- 「任せる」よりも、「ともに考える」時間を惜しまない
急いで引き上げることは、期待のようでいて、責任の放棄でもある。 人を信じるとは、時間を信じることであり、成長には“待つこと”が含まれている。
育成とは、“焦らない勇気”の実践でもある。
5. 根づいた知がもたらすもの
深く根を張った知は、多少の嵐にも揺らがない。 判断にぶれがなく、言葉に重みがあり、他者の痛みにも静かに寄り添う。
そうした知を持った人が組織にいることが、どれだけの信頼と安定をもたらすか。 根を張るというのは、周囲の知とつながりながら、土壌そのものを豊かにすることでもある。
成長とは、目に見える速度ではなく、目に見えない深さの中で起きている。 だからこそ、知は急いではいけない。 人は、育てるのではなく、育つ環境を整えるのだ。(2025/5/28 小竹)