第6章 経験と省察──知が育つ時間と間合い
知は経験から生まれる──この言葉はよく聞かれるが、経験そのものが知になるわけではない。 経験はただの出来事であり、それが「知」へと育つためには、“省察”という営みが不可欠である。
この章では、「経験」と「省察」がどのように結びつき、どのようにして実践知や哲学的思考へと昇華されていくのかを探っていく。
1. 経験は知ではない
多くの人は「経験があるから大丈夫」と言う。 しかし、経験とは単なる事実の積み重ねであり、それ自体が知として機能するわけではない。
たとえば、10年同じ仕事をしていても、毎年を“ただ繰り返して”いるなら、知は育っていない。 逆に、1年の経験でも、それを深く振り返り、省察することで、厚みのある実践知が育つこともある。
重要なのは、「経験をどう意味づけるか」である。 知は、経験に“問い”を重ねたときに初めて芽生える。
2. 省察とは何か
省察とは、「出来事に意味を与える行為」である。 単に振り返るだけではなく、「なぜそうなったのか」「私はそこでどう感じたのか」「何を見落としていたのか」など、自己と出来事の間に深く入り込んでいく。
省察は、知を個人の中に“沈殿させる”作用を持つ。 語られた言葉、交わされた視線、感じた違和感──それらが、後になって別の出来事と結びつき、新たな理解を生み出す。
この意味で、省察とは「知の再編成」であり、「沈黙の対話」であり、「意味の織り直し」である。
3. 時間と間合いが知をつくる
現代の組織では、「即時の対応力」「スピード重視」が求められる。 だが、知の成熟には時間が必要である。
急かされる環境では、省察は起こりにくい。 忙しさのなかでは、問いが立ち上がらない。
知は、「何もしない時間」や、「語る時間」、「余白としての間合い」の中で育つ。 これを無駄と切り捨てる文化の中では、知は根づかない。
知を育てるとは、“間”を育てることでもある。
4. 組織における省察の文化
知のある組織は、省察の時間を組み込んでいる。 定例の振り返りミーティング、ナラティブな対話の場、失敗を共有するラーニングレビュー──いずれも、経験を知に変える場である。
重要なのは、「正しさの検証」ではなく、「意味の対話」である。 問いが歓迎され、違和感が受け入れられ、語りが尊重される文化の中で、知は初めて共同的に育つ。
マニュアル化よりも、語り合えること。 研修よりも、語り直せること。 それが、知を「生きたもの」にするための土壌である。
5. 知が育つとは、自己が育つこと
経験と省察の繰り返しのなかで、私たちは知るだけではなく、「どうありたいか」という自己の軸を見つけていく。
つまり、知が育つとは、自己が育つことでもある。 それは、変化に応じて自分の判断を問い直しながら、価値観を深め、他者とともに世界を編み直していく営みである。
経験を“済ませる”のではなく、経験を“生きる”こと。 その延長線上にこそ、本当に役立つ知がある。
そして、知はそこで初めて、自分の言葉になり、他者に届くものになるのだ。(2025/5/21 小竹)