第10章 知の未来──形式を超えて、共に編む

知とは何か。どこまでが知で、どこからが感覚で、どこまでが関係性なのか。

本書を通じて私たちは、形式知、暗黙知、実践知、そして書かれない知まで、多様な知のあり方を辿ってきた。 そのどれもが、「知とはなにか」という問いに、異なる光を当ててくれるものであった。

最終章では、これからの時代において、知をどのように捉え、育み、共有していけるのか。 「知の未来」について、共に考えていく。

1. 知は形式を超えていく

知識は集められ、構造化され、標準化される。 それが形式知であり、近代の教育や経営を支えてきた基盤である。

だが、情報の氾濫、変化の激化、多様な価値観の共存といった現代の条件のもとでは、形式知だけでは立ちゆかない。 知は、状況に応じて変化し、関係性に応じて意味を変え、言葉にならない領域にもまた存在する。

知とは、かたちにするものではなく、共に立ち上げていくものへと、その意味を変えつつある。

2. 知は「ともに」つくられる

もはや一人の専門家が答えを持ち、他者がそれを学ぶという時代ではない。

むしろ、問いを共有し、仮説を交わし、経験を持ち寄りながら、「知っていく」過程そのものが知である。

  • 多様な背景の人が集まって話すこと
  • それぞれの経験が尊重されること
  • 正しさより、納得と共感が大切にされること

知は、一人では完成しない。 むしろ、異なるものが響き合うことで、その姿が現れてくる。

3. 知の未来は“問い”の力に宿る

変化が激しく、正解がすぐに陳腐化する社会において、重要なのは「問い続ける力」である。

問いとは、知の出発点であり、同時に知の再生装置である。 一度得た知を鵜呑みにせず、常に「これは今も妥当か?」と問い直すこと。 それが、知を生きたものとして保つ鍵である。

未来の知は、答えよりも“問いの質”によって測られるようになるだろう。

4. 知を育てる環境とは

知の未来を育てるには、「問いが息づく環境」をつくることが不可欠だ。

  • 違和感を歓迎する
  • 話し合いが成長の一部であると信じる
  • 知を“得る”のではなく“生み出す”ものとして捉える

そのような環境では、人は知識を詰め込むのではなく、世界との関係を編み直していくことができる。 知は、正解を探す手段ではなく、自分と他者と世界を結び直す営みとなる。

5. 「知と共にある」未来へ

知は持つものではなく、共に在るものである。

組織においても、教育においても、家庭においても、知は“伝える”ものではなく、“ともに問い、ともに悩み、ともに考える”中で育つ。

だからこそ、知を扱うすべての場には、「ともに生きる」姿勢が求められる。 知は、静かに、それでいて確かに、人と人とのあいだに宿っている。

私たちは、知とともに、誰かとともに、世界とともに、生きている。 そのつながりの中に、これからの知のすべてがある。(2025/6/18 小竹)