ムーディーズの米国債格下げを読み解く

──信用格付けに潜む“政治的意図”とその不合理性

2025年5月16日、世界三大格付け機関の一つであるムーディーズが、ついに米国の信用格付けを「AAA」から「Aa1」へと引き下げた。これにより、米国はすべての主要格付け機関において、「完璧な信用」の評価を失ったことになる。

フィッチ・レーティングスとスタンダード&プアーズ(S&P)はすでに格下げを実施しており、ムーディーズが最後の砦であった。しかし今回、そのムーディーズもついに格下げに踏み切ったことは、象徴的な出来事である。問題は、その評価基準が果たして合理的だったのかという点にある。

■「格付け」の本質とその理論的限界

格付けとは、本来、債務者の「返済能力」を評価する指標である。企業であれ国家であれ、債務を返済する能力と意志に照らして、その信用度が段階的にランク付けされる。とくに国家の場合、その評価基準は、以下のような要素によって決定される。

  • ①経済規模と成長力
  • ②通貨の安定性と国際的地位
  • ③財政・税制の健全性
  • ④政治的安定と制度の信頼性

米国は世界最大の経済圏であり、ドルは依然として基軸通貨としての地位を保っている。さらに、米国は自国通貨建てで国債を発行し、中央銀行(FRB)という強力な金融政策機関を持つ。これらの要素は、理論的には「デフォルト(債務不履行)に陥る可能性が極めて低い」ことを示している。

ではなぜ、格付けが引き下げられたのか。

■格下げの“建前”と“本音”

ムーディーズが示した格下げの理由は、以下の通りである。

  • ✓財政赤字と政府債務の増大
  • ✓利払い負担の急増(1兆ドル超)
  • ✓政治的分断と財政政策の不透明性

いずれも無視できない要素であることは確かだ。しかしこれらは従来から内在していたリスクであり、格下げの決定的要因にはなり得ないはずだ。

とくに「政治的分断」を理由に格下げするという判断は極めて曖昧であり、制度上のリスクと演出的な対立を混同している点において、評価基準としての妥当性を欠いている。実際、米国の債務上限問題は過去何度も繰り返されてきた“茶番”であり、最終的には必ず解決されてきた歴史がある。

■政治と格付け~見え隠れする意図~

今回のムーディーズの格下げが発表されたのは、トランプ政権による新たな支出法案が議会で否決された直後だった。ホワイトハウスの声明では、「バイデン前政権の支出のツケが格下げの原因だ」と述べられ、政治的非難の応酬が始まっている。

これは、格付けという経済的評価が、政治的アジェンダに組み込まれつつある兆候でもある。格付けの本来の目的は、投資家にとってのリスクを可視化することにあるはずだ。しかし、実際には市場や政権に対する“牽制球”として利用されている側面も否定できない。

たとえば

  • ✓格下げによる借入コスト上昇が政治圧力となり、支出削減や財政緊縮の推進に繋がる。
  • ✓政権交代のタイミングで評価が変動することで、政党間の主張に影響を与える。

こうした格付けの「政治化」は、評価機関の独立性を揺るがすだけでなく、国際金融の信頼性そのものにも影を落とす

■他国との比較に見る不整合

日本やイタリアといった高債務国は、米国以上のGDP比債務を抱えているが、格付けの安定性に大きな変動はない。日本に至っては、格付けがやや低いとはいえ、国債の需要も安定し、金利も極めて低位で推移している。

これは、「債務残高」や「赤字額」だけでは、国家の信用を判断できないことを意味している。むしろ、経済の持続性、制度の柔軟性、通貨発行能力といった「構造的な信用力」にこそ評価の軸足を置くべきだろう。

■結論 「格付け評価の限界と、我々の視座」

ムーディーズの判断には、確かに一理ある。しかし、そのタイミングと論拠の曖昧さ、政治的な影響力の強さを考慮すれば、「格下げされた=信用が崩壊している」と捉えるのは早計である。

むしろ、我々が注視すべきは次の点である。

  • ✓格付けは「絶対的な評価」ではなく、「相対的な警告」であること。
  • ✓経済の本質的な安定性を測るには、より多角的で構造的な視点が必要であること。
  • ✓政治的なメッセージを含んだ経済評価が、メディアやマーケットを過剰に動かすリスクがあること。

信用とは、数字で測るだけでなく、「何を信じるか」「誰が信じるか」の問題でもある。格付けの背後にある力学とバイアスを見抜く洞察が、今こそ求められている。(2025/5/18 小竹)